PFPとは何か、アートの違いを考える

アートなのかPFPなのか NFT

PFP ONLYというプロジェクト結構ありますよね。
どんなプロジェクトだろうと考えみましょう。
アートのNFTとはどう違うのか?

PFPってなんだろう

PFPとはProfile pictureの略です(Profile photoという話もあります)。
簡単に言うとツイッターのアイコンです。

PFP

これのことです!
自分の場合は版権とか気にしちゃうので
京都の嵐山で撮影したおサルの写真をつかっております。

自分をイメージするSNS上での画像ですね。
ツイッター以外にもインスタグラムやフェイスブック、LINEなんかもNFTの画像にしている方はいらっしゃるようです。

現在ツイッターぐらいなのですかね、メタマスクを接続して使えるのは。
そのツイッターもたぶんiphone版だけなのかな?という感じで結構な制限がある感じがします。
まだ普及前のサービスですね!
接続した場合は六角形のアイコンになり、明確に差別化されています。

PFP画像の需要は存在している

PFP画像も所詮画像なのでコピペで他の人の画像使いまわしてもいいんじゃないか!
というご意見もありますが、NFTにすることによってそのデータの所有者が明確になります

コレは結構なメリットですよね。
今まで例えば作者以外の人に使ってほしくない、と考えてた人が
明確に限定した画像データの売買ができるようになるのです。

アニメおそ松さんを例にしてみましょう。
結構な人がアニメやゲームや他の人が描いたものをSNSのアイコンとして利用しています。
これだと誰にもお金は入らないです。

でも公式のおそ松さんが自分のファンの人に向けて販売したとして、
6角形のアイコンのおそ松さんがでてきた場合、
その人はちゃんとお金を払い公式のおそ松さんに貢献しているファンであることが証明されます

実際に自分が遭遇した事例だと、
お友達の方が人様が描いた絵をツイッターのアイコンにしていた。
絵を描いた人のファンがお怒りになりその人に強い言葉で怒った。

もしも絵を描いた人が最初からNFTにしていてそのアイコン以外使わないでね
と言った方針が明確であればそれに従って利用するなんて道もひらけるかもしれません。

企業としてはビジネスチャンス
ファンからすると所属を明確にしたり貢献を表現できる

そんなメリットがNFTとはをPFPにすることにはあるんじゃないかと思います。

アートとPFPの違いとは?

さて、書きたかった本題です。
PFPはProfileのpictureで同じNFTの画像です。
アートのNFTとの違いはあるのでしょうか?

PFP作品のアート的な評価

実はNFT市場が好調の時は
このアートは素晴らしいよね
なんて評価されるPFPシリーズは結構有りました。
画像のクォリティのようなものが評価されるわけですね。

これは言い換えれば商品の品質なので、評価するのは間違えではないです。
細部まで細かく描かれるものは
時間が多く使われいて、そもそもの作業量が多いです!
最初の販売価格に反映されて少し高くなることはありえるでしょう。

品質が問われるPFPと
アート作品のアート性を混同するとだめじゃないかなと考えています。

アート作品とPFPの違いとは

アート作品というのは2個要件があると思います。

1つ目は作者がアートだと思っていること
つまり、クォリティーは問われない
アートは主観であり、考える人によってはアートじゃないかもしれないですしアートかもしれません。
作った人が思った時点でアートであるというのは要件だと考えています。

もう一つが、アート作品として残そうとすること。
世の中には消えるような作品も存在しています。
消え行くことや、短い時間だけ成立するようなことを楽しむアートもあります、
が・・・
それは一旦置いといて!
アートとは消費されないものだと思うのですよ。

CryptoPunks - Collection | OpenSea
CryptoPunks launched as a fixed set of 10,000 items in mid-2017 and became one of the inspirations for the ERC-721 standard. They have been featured in places l...

CryptoPunksをアートかどうか語るときに
オンチェーンで残っていくことが大切とされますよね。
この場合はドット絵にアート性を見出すよりも歴史やオンチェーンでこの先の未来も残ることが評価されていると考えます。Cryptopunksはアートなんです。

消費されるアートと消費されないアートの違い

消費されるものというと
雑誌の挿絵を考えてみてください。
上手な絵が結構載っていると思いますがイラストレーターさんが描かれて
おそらく1枚いくらといった単価で仕事されています。
残すことを目的にするわけではなく、その場その場で必要に応じたものを用意しています。
本をよむ人の絵が必要だから描く

これが消費されるアート、クリエイターの仕事。
音楽なら番組に合わせて作ったその場だけの曲であったり…でしょうか。
一時的なものですね。

一方で消費されないアートは
絵画であったり、クラシックであったり
残っていくことを前提に描かれるものだと思います。
本をよむ人の絵を描きたいから、残したいから描く

この2種類の差は大事です。

現状のNFTは消費されるPFPが多すぎる

現状の多くのNFTは大量生産されているものが多い

現在のNFTはジェネラルティブ、パーツを大量に用意してAIで組み合わせて画像を生成する手法がとられています。

本来1枚1枚描くほうが作業量や希少性が増し価値が高くなります。
ですが、場合によっては大量生産のものがエネルギーを使った作品よりも高く評価されているなんてことがあります

この理由としては
・大量に作品がないと二次流通が成立しません。
・作品の中にレアリティの差をつけることでギャンブル性をもたせています
・種類を増やせるので絵を描く人の負担を限定的に大量に作れます

一番大きいのは一点目の二次流通のためでしょう。
売るために大量生産をする必要があって、この手法がとられていると。
この大量生産の弱点はアート性が損なわれること…だと思います。

アートは大量生産されるものではない

まず、作品数は多ければ多いほど良いと思います
アートって時間じゃないですか、
本人の人生の中でどれだけ作品を作れるか。
そして、人生で見た場合作品数が多いアーティストのほうが評価される傾向があるようです。

でも、短期の1個のテーマに絞った場合は?
となると1万は多いんじゃないかと思うのですよ。

作品数が最も多いのはピカソで15万点。
スタジオ形式で弟子たちが作っているようです。
作品のバランス的には
量産できない油絵が1万5000、
量産できる版画が10万、その他が3万5000でしょうか。
NEW ART STYLEさんより)

作品数の多さは評価につながることがあります。
仮にピカソさんの稼働時間が70年だと仮定すると(ピカソさんは91歳でなくなられています)
年間2,000個、作品への労力が小さい版画を除くと1年に200作ぐらいが供給されていたことになります。
アート代表格のピカソでこのぐらいのペースということになります。
価格も版画なら数十万円のものも存在しているようです。
(大量生産されるとやはり値段は安くなる)

ピカソにみると作品数は多い方がいいのは間違いないかと思います。
ただ、コピーで大量に作ると作品が安価になっていきます。
1個1個作っていく作品のほうがアートとしては評価されやすい。
手間がかかることを考えると当たり前じゃないかと思います。

PFPとしてのビジョンとアートとしてのビジョン

アートとして供給する場合1万個の供給はおそらく多すぎます。

ピカソの例だと1年で200とか300とかがアートとしての供給の目安。
気になってロレックスの市場もみてみたのですが、
時計やジュエリーとしてのユーティリティ有りき、全世界の需要があるもので70万ぐらいが年間供給のようです。
この2つの共通点は時間経過で価値が上がっていくものです。

一部にしか需要がないNFTで1万は多いと言えるんじゃないかと思います。
ですので現状の大量供給型の物はアートにはなりづらいんじゃないかと考えます
(残らないでどこかで消えていくようなもの)
アーティストがバックにいてアートとしての根拠をつけている場合はなるかもしれませんが…。
新規でアプローチを仕掛けてくるものの多くはユーティリティに左右されそうに考えています。

ユーティリティは色々あるので細かい部分はおいといて
PFPとしての用途のNFTを考えていこうと思います。

PFPの弱点としてPFPって自分のイメージに合ったものを使いたくないですかね。
本当に根幹なんですが、自分は他人が描いた謎のアニメの絵のPFPなんて使いたくないです。
描いてくれた絵とかならいいですが…
自分をイメージする記号が少ないとあんまり使いたいと思えないのですよね。

自分をイメージする記号というと
自分の顔がまず第一でしょうし
国や肌の色、自分の制作物、好きなもの
そんな感じになると思うのですよ。

つまり人様の画像をいきなりPFPを使いたくなる要素ってないんですよ!!
好きでもないのにNFTのアイコンを選んでる人はダサいと思います

そういった意味でいうとPFPのNFTたちは
その人に合わせたものが生き残っていくんじゃないかなと思います…

例えば画像生成で自分のPFPをNFTで作れるとか
上限も不要ですし、PFPとしての用途なら500円とか1000円とかなら払う人もいるでしょう。
(IPFS使うともっと必要かも)

100万個リリースすれば自分にあうものもあるかもですし…
好きになるものもあるかもしれません。

NFTをリリースされる場合は
PFPもしくはユースケースを想定するか(販売して終わりのタイプ)
アートとしての価値が高まっていくものを想定するか

が大切になりそうです。
結局売上があれば発行する側はどちらでもいいわけじゃないですか、
(買う側はそうはいきませんが…)

PFPとアートのまとめ

時間を起きながら書いたので話題があちらこちらへといってしまいました。
NFTは現状1万は多すぎると思う
というのは1月ぐらいは1万は少ないという主張があったのですよ。

Clonexは2万います。
これは未来のメタバースにおいては2万じゃ足りないからという主張がありました。

これはこれで多分正しいと思います。
SNSがそのままメタバースに移行するとしたら10億人ぐらいがアイコンを利用しますので
Clonexの2万は少ないです。

ただ…Clonexの2万は少ないと言っても他のものも延々供給がされますので
そう考えると2万は少ないのか?というと疑問がつきそうです。
アバターとしての需要だとおそらく格安で同じクォリティ、超えてくるクォリティのものもでてくるでしょう。
先程いったように自己を表現するのに他人の表現を借りる人もいるだろうけど
全員が借りたいわけではない。

そこでどうやって価値を作るかが大変なところじゃないかなと思います。

売る側は商品の設計を
アートとしてみるか
ユーティリティ(PFP含む)あるものとみるか

買う側はこの2つを見極めて間違えないようにしないといけません。
アートとして見る場合は持続しての値上がりの期待を
ユーティリティがあるものとして見る場合はユーティリティに見合った価値があるか?

昨今の絵師が辞めちゃう問題は買う側も売る側も
ものの定義を決められていないことが原因だと思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました