こんにちは、毎日瀕死マン@viwashi_です。
私が仮想通貨でとても学んだものとして、
お金を先に渡した場合、約束が守られない可能性が高い。
ということを改めて感じました。
民法の話
私たちは買い物をするときどんな法律が絡んでいるかご存知でしょうか?
スーパーマーケットでりんごを買うとします。
果物のコーナーにリンゴが陳列されています。
(売りたいという意思の表示)
そうするとスーパーマーケットの商品を手に取りレジに持っていく
(買いたいという意思の表示)
意思が合致し、レジでお金を払います。
(リンゴとお金の物権の移動)
これで所有者の権利の変更が起きます。
実際生活している中でこんなことを考えることはないんですが、
こうしたものは法律できちんと決まっていて今も議論がされています。
この中で同時履行の抗弁権(Wikipedia)という決まりがあります。
先ほどの例でいえば、リンゴを買う時に
お金を払わない。後で払うと言われてしまった場合
お店は、リンゴを渡さない。ことを選択する権利があります。
これが法律上定められている、定める必要のあった当たり前の原則です。
我々の生活の中で、こんなに考えることは絶対にないと思いますが、
私たちは日本にいる限り何もかもルール化されていて、その中で生きています。
法律の歴史の話
さて、小難しい話をしているとボロがでそうなのでほどほどにして
こうして民法で定められているわけですが、この民法がいつ定まったかというと
明治維新が大きなきっかけになっています。
元々、江戸時代は武士の世の中でトラブルが発生した場合は奉行所と呼ばれる場所で
解決を図っていました。大岡裁きなんて子供の手を母親に引っ張り合わせたりした場所です。
各町や村の小規模なトラブルは年寄とか打ち合わせで処理されたようですが、
結局人によるものが大きく、これは裁く人により刑罰が変化してしまいます。
当時は江戸幕府や、各藩の力が大きかったので彼らが都度決めればそれでよかったんです。
明治政府は1871年廃藩置県のお触れをだして、地方を統一しました。
そうするとルールを統一、言語化していく必要があり、法律が作られます。
当時様々な分野の海外の専門家(お雇い外国人)を招いて明治政府は近代化を進めました。
その中で民法はフランス人講師を招きフランス法を日本の風習に併せて編纂しています。
(憲法は同時期に作られていたドイツの影響が大きいです)。
当時の日本の法律は良いとこどりのハイブリッドでした。
長くなってしまいすみません。
結局何が言いたいかというと、明治時代、さらに昔のフランスの時代(15世紀頃)から
こうしたルールが必要だと考えられていたのは
ルールにしないと守らない人がいたってことだと思います。
仮想通貨の約束は守られない。
今のICOや国産1satコインを見ていると
運営が逃亡すること、や
当初約束していた内容が守られない
なんてことは珍しいことではなく頻繁にあります。
これは異常です。
原因としては、
①約束守らなければいけないということを知らない。(約束を守る気がない)
②約束について履行するための知識や能力がない。
③ホルダーのプレッシャーに対して解決策を思いつかず相談できず、逃げる
(コミュニケーション能力の低さ)。
④市場の想定以上の高額で売買が成立してしまい、達成見込みがない。
かなと思っています。
具体的にはロードマップを頻繁に書き換えたり、期間を守らない。
資金調達で2回目のICOをしたり、こんなのは早い話詐欺でしょう。
一般的に仮想通貨は将来の価格向上を期待して投資します。
(もちろんコインが好きで買う人もいますが)
お金を払ってコインを手に入れる。
ここまでは通常の契約です。
ただ、この購入する判断はこの後の価値向上つまり運営が約束を
守ってくれて結果が伴うだろうと期待していることになります。
この段階で運営はお金を手に入れることができますが、
ホルダーは運営に頑張ってもらわないと価値のないコインを持っている状態になります。
最初からお金を持っていると将来頑張れるでしょうか?
法律がなんで必要とされたかと考えると
歴史的に、最初に約束したことは破られることが非常に多かった
ということだと思います。
まして人間は甘えるんです。
こうしたことが蔓延している今、
彼らに対して約束を履行することを義務付ける様なルールが必要となるでしょう。
すでに処罰は成立すると思いますが。逮捕例が少なく責任を軽んじています。
あっちこっちいっちゃっていますが通貨だけでなくて、
仮想通貨の界隈は約束が軽んじられていることが非常に多いなと思います。
この先法律が厳しくなるのはこの人達も一因です。
約束を守るということを軽んじる人達です。
何でも自己責任ってわけじゃないです。約束を守らない方が絶対悪いです。
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