メタバースの話

考える

今日はメタバースの話。

メタバースはおしまいだ、流行らないなんて言葉がありますが
自分は流行るだろう派です。

この前提であるのですがメタバースという大きすぎる枠組みで会話をしているので
現在はおかしいんじゃないかなと感じます。

メタバースとはなにか

仮想空間と呼ばれるものです。
で、現状はこの言葉が独り歩きしていると感じます。

メタバースだからVRでなければならないのか

ソードアートオンラインというアニメをご存知でしょうか。

仮想空間、ソードアートオンラインというゲームの中に
主人公の少年がナーヴギアと呼ばれるVRのヘッドギアを装着し入る。
ゲーム内で死んでしまうと現実世界でも死んでしまうというサバイバルゲームを行う。

といった作品なのですが、ここで登場しているナーヴギアがいわゆるVR
VirtualRealityの中に入るための機器ということになります。

現状もVRの世界のゲームというものは存在しています、
自分も体験したことがあるのですが振動で表現していたり確かに現実と見紛うレベルではあると思います。
これが発展していくと面白いですよね。

ですが、VRとメタバースは全く別物の技術です。
VRはVRとして発展を遂げていく
メタバースはメタバースとして発展していく。

仮想空間の中で現実と見紛うようなレベルの体験が待っている
世界はいつかくるかもしれませんが、少なくともここ10年の間にくるようなものではないでしょう。
ですのでいきなりソードアートオンラインをイメージするとちょっと距離がありそうに思います。

メタバースとMMOについて

メタバースは仮想空間、すでに実現している仮想空間が存在していて
それがMMO(Massively Multiplayer Online)です。多くの人が同時に遊べるオンラインゲームですね。
インターネットを利用して場所を問わず一緒にゲームを遊べるので
日本だけじゃなくて海外の人とも同時に遊べます。
とても面白い取り組みで長く愛好されています。

この違いはあるのか?というと似てるのではないかなと思います。
ゲームの中で不特定多数がアクセスできる
ゲームで経済が成立している
ゲームで自由に自分を演出できる

最近だとPUBGというった銃で遊ぶゲームも存在しています。
これも限定的な空間ですがメタバースと言えるかもしれません。
架空の自分になりゲームの中で銃で遊ぶ

どうぶつの森と言ったゲームも存在していますね。
これもゲームの中でキャラクター同士で交流し
ときに他のプレイヤーとも交流する
仮想空間で遊んでいます。

メタバースとはゲームなのか?流行らないのではないか

ゲームとして捉えると流行らない可能性を高く感じると思います。
こうしたゲームは最終的に億劫になり飽きます。
ゲームとはそういうものです。

メタバースは終わりのないゲームをやるのか?
セカンドライフのようなものならば
セカンドライフが一時のブームで終わったように流行らないのではないか

僕もゲームであれば限定的な人にだけ流行るものになると思います。

捉え方を変えるとゲームではなくSNSとしてのメタバースがこれからくるのです。

SNSとしてのメタバース

今までの進化って何かを便利にすることで起きています。
例えばインターネットのおかげで

買い物は便利になりました。
行く手間や探す手間がはぶけました。

メールのおかげで物理的な手紙を送る必要もなくなりました。
検索のお陰で図書館も不要になったかもしれません。

メタバースが流行るには何かを便利にしなければなりません

便利になるものをイメージしてみると
買い物は現在のAmazonなどが完成されています。
メタバースの空間に商品がひたすらならんでも苦痛でしょう。
仕事も会議室をメタバースにもってきても手間が増えるだけで
なんの効率化も生みません。

この辺はメタバースにとっては相性が悪い物となります。

メタバースにとって相性のいいものはなにか?と考えてみると

まず、SNS

これは現状のSNSは平面です。
頻繁に会話をする人とも平面同士の繋がりなので距離があるんですよね。

これが立体の世界に移ると距離感の表現ができるようになるので
より親密さを表せると思います。
Meta社がみているのはこういった世界じゃないかと考えています。

会えないときに会うという表現が仮想世界の中に生まれる
この需要は存在しています。

他に考えてみるとエンターテイメントの世界ですね。

コロナ禍でライブが中継になるなんてことが増えました。
これがいまいち盛り上がらない。飽きられる。
その場に居ないことが一体感や熱量が伝わらない可能性があります。

ライブがメタバース空間でそれぞれが好きな場所で見れるもの
になったらその需要はまた存在していると思います。

メタバースは立体であり、
またサイズの制限も問われません。
表現の可能性も生まれるのでアートとも相性は良さそうに思います。

分野的にはSNSやライブなどのエンタメ、アートなどの表現に強いんじゃないかなと思います。

SNSとしてのメタバースは性能は問わないのではないか

現状の問題点としてスマホやPCなどのデバイスは頭打ちが見えてきています。
これ以上性能を上げるには価格が上がっていってしまい多くのユーザーが負担できない。
つまり超高クォリティーのゲームを作ったとしても再生するゲーム機を持っている人が居ない
だから売れない

という問題があります。
その分野ではNintendoSwitchなんかは性能を一旦捨て置き
体験の方で非常に強いマーケットを作り出しています。

前述のSNSでみた場合、デバイスの性能が問われるものを作ってしまうと
参加者が減ってしまうのでデバイスの性能は問われないものじゃないといけません。

高クォリティなものを目指すよりは
低クォリティでその代わり世界中の人がアクセスできるもの

が流行るんじゃないかなと考えます。
そうするとどうぶつの森みたいなのがメタバースのイメージとして良いんじゃないかなと思ってます。

自由に相手の島に遊びに行ける
ネットを通りますが各デバイスから情報をとりあうので中央のサーバーへの負荷は限定的にできます。
空間の中に距離が存在していて、各々が好きなように演出でき
近寄ったり離れたりすることも可能です。
ゲーム内にもゲームが存在していてコミュニケーションもできる。

最強のメタバースはどうぶつの森なのです…!

実際はいろんな需要はビジネスを考える人が出てくるので
中央にSNSが存在していて、そこの周りに高クォリティのゲームなども存在しているような
マルチに色々遊べるような世界になるんじゃないかなと思います。
底まで行くのはもう少し先かなと思いますが!

まとめ

メタバースには期待しすぎないほうがいいですよね。
メタバースという言葉も大枠すぎてなかなかメタバース=良いとは言い難いと思います。
特に仮想通貨でメタバース大作なんて開発してるところはお客さんをどう獲得するかもみてないので
基本的にはお金を集める開発し続けることで生活するみたいな
ミニマムなビジョンを持ってると思います。

なのでメタバースとして脳死で投資せず、どんなビジョンなのかを想像しながら見るのが大切ですね。

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